子ども時代に憧れたのは「茨の道」だった

どうも、なっとうです☆

 

前回こちら ↓

nattousan.hatenablog.jp

 

今回は

 

子どもの頃に好きだった言葉というか

憧れていたものがあったんですね

 

『先見の明』

 

っていう言葉なんですけど

 

なんでこんな言葉に憧れたかって言うと

 

昔はめっちゃテレビっ子やったんですが

 

今やったら考えられへんのですが

 

まぁ、当時はネットが無かったですしね。

 

 

そんな時に、とある番組で

 

今の時代やったら

「めっちゃ当たり前」

 

みたいな考え方が

 

昔の人に取っては

「なんやそれ、おかしいなぁ」

 

なんて批判がつきもので、

 

「おかしい」と周りから言われる当人は

 

必死に訴える。

 

でも、認めて貰えない。

 

訴えた当人が亡くなってから、

 

初めて認められるようになった。

 

今では大多数の人が認めている。

 

昔話でありがちなエピソードで、

子どもながら、

「昔の人はあほやなぁ

でも、周りの人から文句言われても

ずっと伝え続けてたこの人は凄いなぁ

未来が見えてるんかな?

うちには未来は全く分からへんけど」

 

なんて事を

父と一緒に話していた覚えがあります。

 

当時の私は、

周りの人に嫌われるのが怖くて

自分の意見を表に出すのが

とても苦手でした。

 

段々、自分が何を考えているのかすら

判別するのも難しかったので、

それを言語化するなんて、絶対に無理でした。

 

なので、多くの人から

「なっとうちゃんは、何考えてるんかよう分からへん」

と言われてきました。

 

そんな状況下にありましたから、

「未来を見据えて、

少数意見でも構わずに

生涯認められる事が無くても

自分を保って伝え続ける」

 

そんな姿に憧れたのですね。

 

それから時は流れ、

「私は未来が見えるようになったか?」

 

といえば、

 

「No」

 

ですね。

 

昔も今も今後も、

未来が見えることはありません。

 

ですが、歴史は繰り返します。

 

『昔に起こった事と似た形で、

今やこれからの世界で起こる。』

 

そんな事はよくあります。

 

私が新型コロナのワクチンの成分について

どうこう文句を垂れるのは

 

別に未来が見えている訳ではありません。

 

昔も似たような状況があったから、

分析したまでですね。

 

私は先見の明は

今もありません。

 

どっちかっていうと

なうしかさんの方が

『先見の明』じゃないの?

 

なんて思います。

 

私はただただ、

彼女を支持して

 

ふんふん頷いているだけですわ

 

彼女が過去にしていたことが

今の私たちの当たり前になっているし、

 

 

 

それやったら、

今のなうしかさんの姿は

未来の私たちの姿かも知れないなぁ

 

そんな事も思うのですね。

まぁこれは私の好き勝手な想像でしか

ありませんけどね。

 

とは言え、少数意見を

叩かれても

圧力があっても

日和らずに伝え続ける

 

これはねぇ

並大抵で出来ることじゃないですね

 

とは言え、

子ども時代の反動か?謎ですが、

今はおじいちゃん譲りの

ちょーーーー頑固者になりました。

(そこは「日和らない」って言え)

 

お陰様でアルハラから身を守り

呼吸困難の憂き目に合わずに済みました。

 

それでも、

あんまり言われたら

流石にメンタルが挫けますがね。フフ

 

 

今は情報の広がり方とか

煽り方とか

 

本当にえげつないので

 

こっちもこっちで

あれこれと

戦略をこねくり回さないといけないし

 

だってさぁ

 

那覇さんが

「食糧危機やから、調達とか当てに出来ませんよ」

 

て、配信で仰るよりずっと前から

なうしかさんは

ご自身で住める安全な住まいと

自給自足出来る環境整備

これらに着手してますからね。

 

いやぁ、凄いなぁ

 

でも、当人曰く

「先駆者は道なき道を

自ら考え開拓しないといけないから

めっちゃ大変」

 

との事で

 

私はその後ろを

ふんふん

ついて行っているだけですわ。

 

昔の人みたいに

「当人が亡くなってから」とかじゃなくて

 

「当人が元気になれる道筋を示せるように

なって欲しい」

 

それは切に願います。



今回はここまでです

 

ありがとうございます!

 

またね☆

 

 

 

 


nattousan.hatenablog.jp