こちらの78年式典は、見られました。

どうも、なっとうです★

 

日曜日 ↓

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バタついていて、何も出来ず

 

やったんで

 

8月9日

 

ニコ生で配信される

 

式典見る時間に間に合いました。

 

11:02

 

なのでね

 

黙祷出来ました。

 

亡くなられた方々に

哀悼の意を示すと共に

 

今も苦しみの最中にある皆様に

お見舞いを申し上げます。

 

配信に出られて

 

そこで言葉を発する方々

 

ニコ生なんでね

 

コメント流れるんですが

 

コメントを読んだり

 

右からも、左からも

 

コメントが飛び交っていました。

 

そうですよね。

 

これが本来の姿なのかも知れません。

 

それぞれが

 

自身の利の為に

 

沢山の思惑が、絡み合います。

 

①命は尊い

 

簡単に命を落とすような

 

そんな世界線には

 

あってはならない。

 

そんな価値観を

 

文字通り持つ人がいます。

 

ですが、その一方でまた

 

②人の命を蔑ろにして

 

人が死ぬのを厭わない。

 

人減らしをしたい。

 

そんな人たちが

 

存在している。

 

 

 

人の価値観は、細かく見ていくと

 

非常に多様性に富んでいて

 

十把一絡げには出来ません。

 

一枚岩の組織も

無いと思います。

 

それを前提にしてからにはなります。

 

 

世界は古来からずっと

 

凄く大きな大きな括りで言うと

 

その両者(①と②)のバトルが

 

脈々と続いています。

 

それは、繰り返す所もありつつ

 

時代と共に、具体的な手段や行動

 

そういったものの変化もありつつ

 

今の時代までやって来ました。

 

そして、②の人の中には

 

①になりすましている人もいます。

 

少数派のあなたの事を

見捨てませんよ

 

そんな言葉に

口車に乗せて

 

ほんまは、自由と命を蔑ろにした

 

支配を裏で目論む

 

そんな人たちもいます。

 

私は、その連中を

 

『にせもん』

 

と、呼んでいます。

 

物理的な攻撃を伴う戦争

 

これは、

 

しなくて良いならしたくない

 

それが、正直な所です

 

ですが、話し合いが通じないから

 

核を持つか否か

 

それを差し置いてでも

 

武装して威圧する

 

という事をすることで

 

居場所を守れるなら

 

した方が良い

 

だから、憲法9条

 

改正したいのです。

 

物理的攻撃

 

寸止めやなくて

 

ガチで叩いたらあかん。

 

こういうのは比較的わかりやすいです。

 

ですが、

 

物理的攻撃が難しいのならと

 

他の手段を使って

 

それこそ

 

人が生まれてから亡くなる

 

それくらいの年数掛けて

 

コツコツ仕込んで

 

人減らしの方策を

 

多方面からしていく。

 

でもこれは、目に見えませんし

 

向こうがやったと

 

証明するのも難しいので

 

分かりにくいです。

 

分からんうちに

 

命の危機に瀕する自体に陥ります。

 

こないだの6日

今日の9日

 

今度の15日

 

こういった、節目の日に

 

物理的攻撃はあかんねんで

 

という事を確かめる

 

丁度良い機会です。

 

それと共に

 

物理的攻撃を伴わない

 

命を削って来る

 

向こうの戦略や仕掛けに対して

 

どうすれば

 

自分たちの

 

どうすれば

 

子どもたちの

 

どうすれば

 

この居場所を

 

 

未来を

 

 

守れるのかな?

 

 

どれも繋がりがあると思います。

 

多角性に富んでいて

 

対処するのも一苦労ですが

 

これまで言及してきた

 

にせもんたち

 

SDG's

ameblo.jp

 

LGBTQ

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子どもに関する制度のあれこれ ↓

nattousan.hatenablog.jp

 

 

あとこれも ↓

nattousan.hatenablog.jp

 

かおりのがいとか

何とか言うあいつらも

にせもんやと思ってる

 

全部全部

 

繋がりがある

 

だから

 

命を守る為に

暮らしを守る為に

 

どうしたらいいのか?

 

考えていたら…

 

ニコ生のコメントで

 

「この式典は、いつまでやるの?」

 

そんな質問があり

 

「ずっと」

 

と、ご回答がありました。

 

寧ろ、年数が経てば経つほど

 

語り部となる

 

当事者の方の声を

 

直接聞くのが難しくなる

 

そのまま式典止めて

 

忘れては、また同じ轍を踏む

 

そうならない為に

 

ずっと続ける必要がある。

 

との事ですね。

 

非常に良い質問で

非常に良いご回答やと思います。

 

途中、私の解釈も

 

混ざりながら

 

ここでは書いていますが。

 

寧ろ、今後

 

来年以降こそ

 

続いていく必要が

 

あるかと思います。

 

まぁ、6日に出れへんくて

 

どの口が言うてんねん

 

て、ツッコまれたら

 

私はぐうの音も出なくなりますが。

 

ほんまに、すみません。

 

人様を供養すると共に

 

命の尊さを改めて認識し

 

どうすれば未来に繋いでいくか?

 

そういった事を諸々考える

 

そんな意味合いもあるのかな?

 

なんて事を思います。

 

纏まりがあったかどうか?

 

分かりませんが

 

今回はここまでと、させて頂きます。

 

今日は、チェンソーマンの更新がありました。

 

読みましたが、そちらは別日に

また上げさせて頂きます。

 

有難うございました。

 

またね★